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「反日種族主義」李榮薫編著 読後感7

慰安婦をめぐる政治の動き

  

 吉田清二による嘘証言によって慰安婦問題は韓国内で爆発的な盛り上がり

を呼びました。これに日本人研究者が火に油を掛ける発表をしました。1992年中央大学吉見義明教授が日本軍文書に基づいて、日本政府が慰安婦の募集と慰安所の運営に関与したというものです。

  彼は、日本の防衛省防衛研究所の図書館で、日本の陸軍省が1938年3月4日付け文書に、社会問題を起こさないような人物の中から慰安婦募集業者を選定するように指示していることを突き止めました。

その前年に陸軍省が各部隊に。慰安所を開業するよう指示した文書を添付。これによって日本軍が慰安婦の募集と慰安所運営に深く関与したことが明るみに出ました。これによって日本政府は大きな打撃を受けます。「挺対協」は日本政府の責任が明らかになった以上、謝罪と補償、そして徹底した真相調査を要求しました。

 

これに応えて1992年1月訪韓した宮沢喜一首相は韓国の国会で次のよ

うな謝罪をします。

 

『私は、この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる慰安婦の問題が取り上げられていますが、私は、このようなことは実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っています』

 

 日本政府は同年7月、慰安婦第一次調査報告書を発表しました。それは、軍慰安婦募集に日本政府が関与したことは認めるが強制連行の証拠は発見されていないという内容でした。さらに、同年12月から第二次調査を実施して、翌1993年8月報告書を発表しました。日本政府は軍部が慰安所の設置、経営、管理、そして慰安所の移送に直接間接的に関与したことを認めました。その上で、日本軍慰安婦たちに謝罪と反省の意を申し上げると発表しました。それが1993年8月に発表された有名な「河野談話」です。

 

『今次調査の結果、長期、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され。数多くの慰安所が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。又慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府はこの機会に、改めて、その出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。又、そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども懲しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。(後略)』

 

 これに対して、「挺対協」は、日本政府が慰安婦募集の強制性をあいまいに認めただけだ、と反発します。慰安婦は公権力によって暴力で強要された性奴隷であり、慰安所の運営が戦争犯罪だと日本政府が認めていないというものでした。挺対協は日本を含むアジアの被害諸国とアジア連帯会議を組織して、毎年大会を開催しました。

 

 さらに国連にも持ち込み、日本軍慰安所は「強姦センター」であり、国際法に違反している。その上、国際労働機関(ⅠLO)にも、日本軍慰安婦は戦争中の強制労度に該当すると訴えます。お金を払って合意の下で行われた性交は強姦とは言わないのが常識でしょう。

 挺対協の行動はキチガイじみていますが、そのエネルギーには驚かされるというのが私の感想です。

 

 韓国政府は挺対協と異なり、河野談話を肯定的に評価しました。慰安婦被害に対する補償や賠償については、1965年の請求権協定によって、新たな対日補償は要求できない、という立場を取りました。金泳三政権は日本政府に新たな補償を要求せず、自ら元慰安婦を支援することを決めました。一九九三年六月「慰安婦被害者に対する生活安定支援法」が制定されん、生存慰安婦一二二人に対して、同年八月から生活安定金500万ウォン、毎月の生活支援金15万ウォン、永久賃貸住宅優先入居権を提供しました。

 

 日本政府も、法的保障ではない、道徳的責任という趣旨で慰労金を支給することを決定しました。一九九五年八月戦後五〇周年の終戦記念日村山富市総理が、いわゆる『村山談話』を発表しました。

 

「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」

 

 その後、日本政府は「女性のためのアジア平和国民基金」を作ります。日本企業と国民から募ったお金で財団法人を組織し、その基金から慰安婦に一人当たり200万円を支援するというものです。慰安婦たちに順次一時金を支給した後基金を解散するというものです。

 しかし、挺対協はこれを拒否しました。韓国政府金泳三大統領は日本との了解を破り、日本の国民基金を甚だしく遺憾」と表明しました。日本の国民基金は生存者七〇〇人余の四割に当たる三六四人に支給した後、2007年3月解散を余儀なくされました。

 挺対協は強力で巧みな慰安婦問題の世論作りを続けます。2016年慰安婦少女像が建てられます。朴槿恵大統領の時、日韓紛争を解決するために動きました。2015年同意案が発表されました。

日本側は軍の関与もした責任を痛感し、慰安婦被害者の苦痛と傷に対して謝罪と反省の気持ちを表明する。そして10億円の慰労金が払われ財団を設立し、これを以って慰安婦問題は日韓両国で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える」と約束が行われました。

 これに対しても挺対協は反発し、文在寅大統領は、この合意は間違ったものだとし、朴大統領が設立した「和解・癒し団体」を解散します。2015年の合意を正式に廃棄し、再交渉もせず、あいまいに無効化したのです。

 

 この記述は朱益鐘氏によるものですが、私が不思議に思うことは、韓国の文大統領が国家間の取り決めを簡単に破ることです。これでは両国の交渉は今後も出来ないだろうということです。一方日本政府についても問題があります。韓国の慰安婦が苦痛と傷があったとしたら日本人の慰安婦にはそのような苦痛がなかったのでしょうか?騒ぐから黙らせるために謝罪をしたり、金を出すが、黙っている人間に対しては無視するのか、という疑問です。

 

 また、世界史的視野に立つならば、戦争もしたことのない国に、植民地化したにせよ、これだけ謝罪をし続けたということは日本だけの極めて稀有のことなのではないかということです。私は大日本帝国が犯した罪を謝ることに異議を唱えているのではないのですが、いまの日韓両国の在り方が異常に見えます。朱氏はそれを浮かびあがらせてくれました。そこには反日とか親日とかの感情を交えず、調べたことを学者らしく客観的に述べているように思われます。

 

 1951年の朝鮮戦争における韓国軍の慰安婦や米軍の慰安婦問題には一切目を向けない挺対協の姿勢にも問題があると記しています。

 慰安婦が存在していた1945年から50年間、何の問題視もせずに無関心だったのに、吉田証言を機に、新たな過てる記憶を作り出し、それをもって日本を攻撃し続け、日韓関係を破たん寸前にまで持って行ったこと、まさにこれが1990年以降の挺対協の慰安婦運動の歴史でした。我々は、この慰安婦問題の展開の中に最も極端な反日種族主義を見ます。

 

 朱氏はこの文章で慰安婦問題を締めくくっています。日本の近代史研究の学者もこのような冷静な姿勢を見習って、日本人に対して史実に基づいたきちんとした見解を述べてもらいたいと希望します。私としてはこの書を読んだおかげで、長年よくわからなかった慰安婦や徴用工の問題が理解できたことは喜びです。