まつぼっくりが笑う

時事ネタ、話題の書籍の読後感を主観を交え真剣に綴ります

コロナウィルス騒動(続3)

  • 知事の役割と力量

 

本日は3月14日である。コロナウィルスに関する動きも刻々変化している。昨日知った情報の中で、感激したことがあったので、そのことについて記す。

その前に、自分の体験したことを述べよう。今から20年ぐらい前、片山氏(親しみを込めてこれからはさん付けにする)が島根県知事をしていた時のことだ。私は東京に本社がある食品会社に勤めていた。島根県の食品会社が経営に行きつまり、身売りをしなければならない状態になってしまった。わが社と取引があったので救いを求められた。

 

わが社としても、その会社から商品を仕入れているので倒産されては困る。そこで買収するかどうかを検討したのだが、その会社を経営する場合、先行きの見込みが立たなければ買収はできない。わが社としては買収金額も好条件だったので、ほぼ買収に決めていた。しかし、黒字化を続けるためにはネックがいくつかあったが、買収を前提に島根に行くことにした。この情報は島根県知事にも伝えられ、買収が成立した場合は共同記者会見をするという返事が返ってきた。規模の小さな会社の買収問題に知事が出てくるというのは大げさだなあと感じていた。好奇心旺盛の私は、当時から有名だった片山さんに会えるのを楽しみにしていた。

私は担当の部長と広報担当者と島根に乗り込んだ。先方は知事と工場のある村の村長と県の職員であるやり手の30代ぐらいの課長が会議に臨んだ。会議の様な懇談会の様な雰囲気の中で話し合いが行われた。

そこで片山さんは知事として最も重要で力を入れているのは、県内での雇用だと言った。そして県産品の売り上げを上げたいので、20世紀ナシや農産品を海外に輸出する努力をしていると熱く語るではないか。私の描いていた冷たい官僚上がりのイメージとは全く違うその姿に驚いた。私たち民間の人間と違和感がなく話せる素晴らしい人物だと思った。

買収する会社の経営でネックになっている問題点の一つに、工場内に電源盤が2基なければ駄目だと中国電気で決められていることだった。それほど大きくない工場に電源盤が2基も必要がないし、コストもかかる。こういう理屈に合わない基準を設けて従わせること、これこそが官僚主義だ。片山さんに「どうしてもこれを主張するのであれば納得できないから買収は中止する」と私は言った。多少はブラフであったが、最悪の場合、島根県の会社の買収はわが社にとって経営上の大きな問題ではなかったから言えたのだ。ところが驚いた。やり手の課長がその場で電話をしたら、二つ返事で電源盤は1基でよいということになった。私はこの返事はありがたかったが、反面呆れた。こういう理不尽なことがまかり通っているのが日本の官僚機構の日常なのかと。

 

次の日、補助金の話が出て、やり手の課長は頭が良いのか知事の前でいいところを見せようとしたのかわからないが、パッパパッパと即答してくる。我々同志の商談でもこれだけ早く巨額の金額の決断はしない。その間、片山さんは満足そうに笑っている。知事のやる方向性をきちんと把握して、それを課長が具体的に展開していく。素晴らしい関係だ。話がまとまり記者会見を行って買収は成立した。島根県の地方新聞社が何社か来ていた。

私は子会社の社長になるS君に言った。「どんなことをしても黒字にしてくれ。そして良い会社にしてほしい。片山さんはじめ県の職員もこれだけ協力してくれたのだから。

ただし、条件がある。それは黒字になったら従業員の給料を上げること、県内の業者から野菜等原材料を購入するときは値段を叩くな」これは片山さんの熱意に報いる為では全くない。企業は利益を上げることが絶対である。パートを含めた従業員の給料をあげることと、原材料を買いたたかないことは利益を出す2大条件だったからにすぎない。この発言は、これを読んでいる人にはエッと思う人がいるかも知れないが、種を明かせば簡単で合理的なことなのだ。所得が上がれば従業員のやる気がでて仕事の能率が上がるし、レベルの高い人たちが募集できる。原材料を買いたたかないことも、理にかなっている。良質の原料が手に入れば必然的に商品の品質が上がる。そして、原料供給者も良い原料を供給してくれるという好循環が生まれる。

この二つの縛りを社長以下幹部に守らせれば、彼らは利益を上げるために工夫をする。品質の良いものを作り、魅力的な商品を作るため努力する。その後この会社は毎年

利益を上げ続け、100人だった従業員も200人規模になった。

まあ、みっともない武勇伝はこのぐらいにするが、テレビに片山さんが出てくると懐かしい思いをする。嬉しいことに、彼の発言内容は私が頷けるまともなものが多い。

 

さて本題のコロナウィルス問題に対する、知事たちの言動について述べてみる。

先ず、和歌山県の仁坂氏は県内でコロナが有田病院一挙に12名も出たことで相当にショックを受けたはずだ。何故?和歌山でという疑問が最初だっただろう。しかし、その後の行動が素晴らしい。国の検査基準を無視して、いや、その基準にとらわれず、PCR検査を実施したことが素晴らしい。県内の検査能力が足りないとみるや、大阪の吉村知事に協力を求めて多数の検査をして適切な処置をしたことが、和歌山県内の感染を収束させ、有田病院の再開に漕ぎつける要因となった。

日本で普通のことの様に考えられている、縦割り行政ではできないことだ。この事例を聞けば多くの人は当然だと言いかねない。コロンブスの卵だ。柔軟な頭で画期的なことをしても、その後で知れば多くの人がなぁんだと思う。これこそが人間の狡さだ。最初に思い付いた発想力に、素直な評価をすべきだ。

そう、知事には柔軟な思考と豊かな発想力、そしてそれを果敢に実行することが期待

 

されている。

次は大阪府の吉村知事である。

現在日本国内でPCR検査が進まないのは、検査をした結果陽性と診断された人を病院で受け入れると、重症者を受け入れる病床が不足して、重症患者の治療が出来なくなるからだというのが大きな要因である。これは厚労省の見解で、それがため一般の医院が検査に二の足を踏む。その他にもマスクやシールド、ガウン等の医療用器具が不足していて、医者に感染のリスクが高いからだ。そこへもってきて、イタリアで検査をどんどんしたのは良いが、その結果判明したコロナ陽性患者の受け入れ病床が大幅に不足して死者が膨大な数になった。まさに検査により医療崩壊を招いたことが厚労省や一部の識者の根拠付けになっている。これっておかしいと思わないのか?では、イタリアで一切検査をしなかったらどうなっているのだろうか?感染者を野放しにしていれば死者数は減るのだろうか?「素人」の私にはまったく理解が出来ない。

柔らかい頭で人の気づかない発想から生まれたイデアを生み出す能力こそ企業のトップ、地方自治体のトップ、国のトップに求められる資質である。もし、その能力がない場合、部下に素晴らしいアイデアを持った人間がいれば、その部下のアイデアを採用する度量と判断力があればトップとして素晴らしい・

吉村知事は検査が進まないネックを解決し、感染者が大幅に増えた時、医療崩壊を防ぐための施策を発表した。

 

≪フォローアップセンター≫

  1. 感染症指定医療機関(78床)
  2. 一般の病院
  3. 休床病床・廃止病棟の活用
  4. 宿泊施設の活用・自宅待機

 

これにより、①に入院している患者を③もしくは④に移すことが出来る。軽症者や無

症状者は④の宿泊施設(ホテル三日月の様な)自宅待機に移す。

 

このニュースを知った時、感動が走った。なんと素晴らしいアイデアだ。騒ぎがはじ

まっていらい二カ月が経つが、厚労省の発表した検査基準に囚われて誰も気が付かなかった。何度も言うが、これを聞いた関係者の多くは俺も考えていたと言うに違いない。恥を知れ!誰でも初めに発見したり、開発した人間が偉いのだ。それら発見したことは、なんだという、意外に易しいものが多い。このアイデアを吉村氏個人が見つけたものか部下の誰か知恵者が思いついたのかは知らない。どちらであっても吉村氏の功績である。

疑問は厚労省の東大出身の偏差値頭の良い数多い官僚に中で思いついた人がいなか

 

ったのか?ということだ。おそらく、こうすべしと思って言ったとしてもボンクラ上

司が止めたのだろう。馬の耳に念仏、いや間違い、「豚に真珠」だ。良い意見もそれを判断する能力が上にいなければ、まさに宝の持ち腐れだ。大阪のアイデアは直ちに実行されるという。勿論③休床病院、④の指定場所を探すことと、その整備には大変なエネルギーが必要だろう。しかし、根本的な方向性が明確になればそれを実行する力は職員にある。結局トップ次第ということだ。

こういう素晴らしいが平凡なアイデアは他の都道府県や厚労省も見習って真似をすればよい。イタリアにも教えればよい。良いアイデアとは実行可能なものである。

大阪は経済活動を出来るところから始めるそうだし、沖縄の玉城知事も「足もとの経済活動を急激に低下させており、必要な対策を十分にすることを条件に開催を判断する」と言う。

国に先駆け、緊急事態宣言をした北海道の鈴木知事、その他にも、この危急存亡の時、色々な角度からアイデアを発表し実行している知事が多いのは日本の活力だ。

それに引き換え国の施策は後手、後手に回っている。それでも必要な施策をどんどん打ち出してはいるが、厚労省や政治家の中にはこの危機を回避する、私たちが感動するようなアイデアはないのだろうか?アイデアがあっても誰かに忖度してものが言えないのかなあ。何せ怖い人が多いもんな。

 

  • 経済問題

世界の貿易は大縮小。生産だけではなく、サービス業、航空界、物流界、観光業界等これからどれだけの企業が倒産するか見当もつかない。株式市場も題号楽。まさしく今は大恐慌だ。原因がいまだかつて経験したことのない自然の脅威だけに人知の及ばざるところがある。

余談になるが、昔、ジョン・F・ケネディ米国大統領が日本で最も尊敬する人物は上杉鷹山だと言って日本中に鷹山ブームが起きた。江戸時代中期、鷹山は絶望的な財政状態であった米沢藩を改革して立て直した。彼の有名な言葉に「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬ成けり」があるが、私が彼の言葉で最も好きなのは「誰が言ったのかではなく、何を言ったのかが大事だ」である。これは余程肝が据わった、包容力のある人物ではないとできない。いくら位のある権力者と言えども、間違ったことを言えばそれを聞く必要はない。部下で気に入らない人物でも言うことが正しければ素直に聞かなければならない。こう書いていて、これは出来ないことだなあと思う。自分としては出来るだけそうしようと心掛けてきたつもりだが、まあ難しい。

歴史上の人物で、この言葉を実行したのは誰かなあと、思いをめぐらした。意外に、超ワンマンと言われる織田信長ではないかと思う。まあ、講談本の知識ではあるが、信長は秀吉の墨俣城の件や光秀の武田勝頼との長篠の戦いにおける火縄銃3段活用の戦

 

術等、身分の低いものの意見でもそれが良いとなったら躊躇なく採用した。旧日本帝国軍の学校の成績順に位を決めるというような硬直した出来損ないの官僚組織とは異次元の、身分や出身にとらわれず良いものは良いという真の実力主義を実行した。

その観点から見て、今の政治体制はどうだろうか?特に、危急存亡の時こそ、時の政権担当者、総理大臣、厚労大臣は部下の若手政治家、若手官僚や専門家、各都道府県知事、そして野党から良い意見やアイデアがあったらそれを聞いて採用すればよい。外国、アメリカではなく中国や韓国、台湾からも知恵を借りればよい。最も色々な意見が色々な動機で出されるのだから、それを判断するのは難しい。余程能力がなければ的確な判断が出来ない。

しかし、野党はともかく、部下たちは首相を怖がって、自由に意見を言っていないように思う。

コロナウィルスを収束させる動きと経済活動を活発化させることは同時に行うことが出来ない。中国の様に、あと一つの要素である人絹を無視し、経済活動を停止して、コロナ対策を徹底的に行うことが出来ればよい。中国はコロナ収束宣言をして経済活動に切り替えたようだ。問題を一つずつ解決していく理想的な動きになっている。

ヨーロッパは感染が遅かったのでこれから大変だ。アメリカも非常事態宣言を行って、これからいろいろな施策を打ってくるだろう。日本も2段3段の経済対策を打って出るだろう。この時、国民を納得させるようなアイデアが出ることを期待しているが、テレビにおける評論家諸君のアイデアもなかなか頷けるものがない。

私が言いたいことは株価対策と言った場当たりで効果の少ないものではなく、先ず、コロナをやっつけて、国民が今感じている閉塞感を除く施策を期待するが、今まで発表したものの次に出る第3段が発表されるのを待つ。

各企業は賃上げなし、新規採用中止、非正規社員の首切り、資産の売却で一時しのぎの状態だ。でも、これはこれから始まる倒産旋風の序曲に過ぎない。1万社以上の倒産が起きた場合どうすればよいのか、恐ろしいというしかない。大企業と官公庁、そして年金生活者だけがこの嵐の外にいてよいのか、疑問を持ち、怨嗟の波がおきることをじっと待っているのは辛い。そうならないようにするのが政治の役目と口では簡単に言えるが、このような天災には人の力の弱さを感じる。

猛烈な嵐の中で翻弄されている小舟の中にいる。ただはっきりしていることは、嵐は必ず収まるということだ。ただ時期がわからないだけだ。株価も必ず戻る。戻り幅と時期がわからないだけだ。とにかく、今をしのぐことが我々に課せられた任務だ。

 

  • オリンピック

オリンピック組織委員会理事の高橋氏が「五輪開催が断念される場合は1年か2年延期は現実的な選択肢だ」と発言して物議を醸したが、翌日トランプ大統領が「無観客

 

で実施することはおかしい。1年延期が良いのではないか」と発言。両者に共通するのは率直な意見と言うか感想である。これは納得できる意見だ。ただ、今年度の開催中止が決まっていない以上、森組織委員会会長や小池都知事がそれに反論して、オリンピックは予定通り行うというのは当然だ。

聖火リレーギリシャで途中中止された。IOCバッハ会長も発言のニュアンスが変わって来た。「WHOなどと対策チームを作った。開催の可否はWHOの判断に従う」まあ、何処の国の人でも自分で決められないことがあると、その決定を人に委ねることが多い。責任転嫁と紙一重だが、どうも今年の開催は無理という空気の様だ。私ははっきりと開催中止と考えている。本当に残念だ。年賀状にも生きている間に2度目のオリンピックを迎えられてうれしい。それまで元気でいたいと書いているので辛い。人間は、わずかな望みでもあれば、それにすがって生きているので、希望的観測だが奇跡が起きないかなあと未練がましく思っている。

 

  • ナンセンスな意見に反論

 

この項目は書くことすら恥ずかしいとは思ったが、立派な紳士が真面目に発言しているので軽く反論しておく。

  1. 安倍首相が退陣すればこの騒動は収まる

これはおかしいを通り越して、頭が変なのじゃないのと言うレベルだ。確かに、長期政権に胡坐をかき、モリカケさくらと揶揄され、駄目大臣を量産し、国会答弁でもまともに答えず、あらゆる説明責任を果たさない姿勢は傲岸不遜だ。しかし、そんな首相でも好き嫌いを越えて、この厳しい時期に代役を務められる人物はいないと断言する。まあ、この件が終わったら引退してもらえばよい。

 

  1. 国難ともいうべきこの時、織田信長のような人物が出てくれればよい

この意見は願望である。まあ冗談や笑いを取るという意味では面白いと思う人がいるかも知れない。この人は、今のイタリアにシーザーのような人物がいればよいとでもいうのかなあ?

確かに二人とも歴史上に残る偉大な人物で500年に一人出るかどうかという天才である。こういう英雄待望論者は、まさかドイツにヒトラーのような人物がいればなあとは言うまい。

まあ、阿保らしいからこの辺でやめておくが、いろんな人がこの世の中にはいるもんだね。

[続3完了]