まつぼっくりが笑う

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「反日種族主義」李榮薫編著 読後感6

 先に述べたように日本の朝鮮併合は朝鮮人を日本に同化させることが主眼というか日本のそれと同じにします。

同化が目的だったため、日本の色々な制度や仕組みも同じように作られます。その一つが女子挺身隊です。これは銃後の守りは女性の務めで戦争に勝つ重要なことだと作られました。人手不足の工場で働いたり、竹やりの訓練までしたのだから笑ってしまいます。当然朝鮮でも女子挺身隊を結成して工場で働いたり衣服を作ったりします。

 

 ところが吉田証言が韓国で知られた翌年の1990年「韓国挺身隊問題対策協議会」略して「挺対協」が設立されます。この団体が挺身という言葉を使っていますが、実態は慰安婦問題を扱う協会でした。何故慰安婦が挺身隊?と我々は思いますが彼らは挺身隊の女性と慰安婦が全く別物であるのにもかかわらず同一化するという間違いを犯してしまったのです。全て、吉田証言に端を発しています。そこで金学順という元慰安婦の女性が登場してくるのです。

 

 韓国のメディアは連日のように関連する内容を報道し、慰安婦被害に対する関心が高まってきます。言ってみれば吉田清二の証言によって作られた慰安婦問題が架空のものだったのにも関わらず、実際にあったという記憶にすり替わってしまったのです。

 「挺対協」が中心となって慰安婦だった女性を探し始めます。日本から莫大な補償がもらえるとか、慰安婦として名乗りを上げることが真の愛国者だと訴えます。吉田証言がなければ恥ずかしくて名乗りを上げなかった元慰安婦が一人また一人と名乗りを上げてきます。名乗りを上げた第一号の金学順さん以降現在まで数百人になります。

 

 慰安婦について米軍が何人かに尋問した記録が残されています。それによると、慰安所が軍によって編成された公娼制の下で高労働・高収益・高危険の市場であったことがわかります。経営者による前借金の大きさはあるものの負債を返せば自由に朝鮮に帰れる自由はあったようです。休暇も月2回あったところもあるようです。「挺対協」の言うような鎖でつながれた奴隷とは全く違うものだったようです。

 

 また朝鮮人の朴治根が募集した女性19人を連れて東南アジア慰安所経営をして、その日記が残されています。朴氏はそれで大金を稼ぎますが女性たちもお金をためて実家に送金したそうです。戦地ですから戦渦に巻き込まれて、女性2名が死亡しましたが残りの17名は故郷に帰ったと言います。

 しかし、慰安婦が性奴隷だったという日本人もいます。李栄薫氏の調査では性奴隷だったという確証はつかめなかったと言っています。勿論、慰安婦・売春業から抜け出せなかったり自殺をした女性もいます。そして暴力を受けた人もわずかだがいたでしょう。しかし、その人数を誇張したり、売春業の実態を覆い隠してはいけないとも言っています。