まつぼっくりが笑う

時事ネタ、話題の書籍の読後感を主観を交え真剣に綴ります

財務省の大罪・森友学園事件

前段 2020・3・24

私が入っているサイバーサロンがある。そこでは現役時代活躍したレベルの高い人たちが多い。当然、今の世相に対しても一家言を持っており、色々鋭い論評を読むことが出来る。そこで、今の官僚の在り方について批評がなされ、官僚が劣化しているとか、いや、そうではないと議論がなされた。

 

国家や企業において、文章で言う起承転結がある。創成期・最盛期・成熟期・衰退期である。戦後の日本でいうと、焼け野原の敗戦後から新しい日本を築こうとした頃が創世記であろう。荒々しいが活気に満ちた時期である。国民は新たな希望を持ち、子供もどんどん生まれてくる。官僚も日本再生のためやりがいのある仕事を志を以ってしたことだろう。

最盛期は所得倍増の掛け声よろしく、東京オリンピックからバブル期までだろう。人口も増え、経済大国となり、この頃の官僚は仕事に達成感を感じて生き生きとしていたことだろう。バブルがはじけてから成熟期となり、人口減少が始まったこの数年から今が衰退期であろう。衰退期には将来の明るい展望が見えず、国民に閉塞感が生じる。衰退の目に見える証は何といっても人口減少である。衰退期に入ると、外交においても、ロシアとの領土問題も行き詰り、韓国との関係も悪化し、中国には経済面で大きく後れを取るだけではなく、あらゆる分野でもかなわなくなりつつある。それを食い止めるため、アメリカとの同盟を強化し経済面でも協力関係を強化しているが、この大きな流れを食い止めることは出来ない。その中にあって、官僚も先の展望が見えないまま、どうしても保守的、守りの姿勢になってくる。

最近の官僚が劣化していると感じるのは当然のことだが、これは時代背景という要因がある。何せ国家が衰退期に入っているのだから。劣化は官僚だけではなく政治や企業,そして国民にも及んでいる。今年開催される予定だったオリンピックをこの閉塞感を打ち破るきっかけにしたいと思うのは、私も含めて国民すべての願いであるが、歴史の大きな流れを食い止めることは並大抵のことではない。

今の日本が衰退期に入っているという認識があれば、色々なものが見えてくる。政治家、官僚の自己保身による、忖度気質は衰退期特有のものだ。中国の歴史を見てもわかる。戦前の清は日清戦争敗戦後、衰退期から滅亡期になったのだが、当時の清の政治家や官僚のひどさ、ダメさ加減は半端のないものだった。清の滅亡後、中国共産党によって新国家が建設されたのだが、中国は今が最盛期なのではないかと思う。

では衰退期の今どうすればよいのだろうか?覚悟を決めて縮小均衡策を取るのが良いだろう。政治家も、官僚も新たな気持ちで、新しい局面に対応した縮小均衡時代に立ち向かう

 

姿勢を持つことだ。当然、今の様な自堕落な態度ではだめだ。厳しいこれからの局面を乗り越えるため、初心に帰って政治家は身を正して政治に取り組む。国会議員の数も減らし(、何故って縮小均衡を目指すのだから)あらゆる利権を排除し、国民のためにどうあるべきか、原点に返った行動をするのだ。官僚は、首相のご機嫌取りや忖度を止め、大いに議論をし、国民の公僕としての役割を果たす。

 

現実に戻ろう。私の高校の時の友人にQがいた。私のいた高校は男子300人のうち80名位が東大に入るという、レベルの高い学校だった。当時は東大に入るといっても受験塾に行くものは皆無だった。やっと進学塾として「駿河台予備校」が出来て間もない頃だった。私は落ちこぼれだったので、東大には行けなかったが、男子300人のうち、上位10名はとんでもない神童だった。彼らは東大に入るのにそれほど勉強していなかったのではないか。「東大王」というクイズ番組に出てくる東大生の頭の良さには驚くが、わが高校の上位10人はそれに劣らない頭脳の持ち主だった。それが分かったのは、高校の2年後半だった。まあ、いってみればそれぐらいのことさえ分からなかった自分の頭脳のレベルがいかに低かったということだ。

その10人の中にQはいたが、決して1番だったわけではない。それでも、私らが全く及ばない高みにいた。友人だから話をしたり、トランプに興じたりしていたが、その限りではそれほどすごい神童には見えなかった。ただ、授業中、Qが先生に対し質問をすると、その内容と仕方に私らが及びもつかない冴えを見せた。それが、彼を大変な男だと判断した理由である。

高校卒業後、Qは東大を首席で卒業し当時の大蔵省に入った。そして、なんと大蔵省の事務次官にまでなったのだ。友人だから誇らしいというか嬉しかったが、全く焼きもちは焼かなかった。普通なら、なんであいつがと思うのだが、そういうレベルをはるかに超えていたのだから。何故、こんなことを長々と書くかというと、この私が書くことは財務省の不祥事がテーマだからなのだ。森友学園の土地売却問題で、公文書改ざん事件が起きたのだが、その当事者は佐川理財局長で、次官一歩手前の男だった。もし、Qが佐川の上司の事務次官だったらどうするのかと想像した。当然、佐川が改ざんしようとした内容は、次官だから知っている筈だ。私の知っているQは確かにそつのない慎重な男だが、決してそのような不正は指示もしなければ、許しもしなかったであろうことは請け負える。Qが次官になった頃はまだ日本が衰退期に入る前だった。その後、財務省は日本が衰退期に入るのに合わせて、ノーパンしゃぶしゃぶ事件を起こしたり、セクハラ次官が出てきたり、病気で言うと末期症状になって来た。そのとどめを刺したのが佐川である。

Qは退官後、JTの会長をしたり横浜銀行の会長をしたが、数年前に亡くなった。生きていたら歯噛みをして悔しがっただろうな。Qは元財務大臣与謝野馨氏とも親しかった。偶然、与謝野氏が囲碁の強豪だったので私も親しく付き合わせてもらったが、Qと与謝野氏の

 

コンビであれば、今回の様な醜悪な改ざん問題は起きなかったと断言する。そう、今回の問題は麻生財務大臣にも大きな責任がある。惜しい人物は早死にするのかなあと感慨深いものがある。

 

  • 森友事件の発端

森友学園は名誉校長に安倍昭恵氏を据え、「安倍晋三記念小学校」にするということで寄付を募った。2017年2月,国有地売却問題が明るみに出た。森友学園は学校建設用地として大阪府豊中市の国有地の購買を予定した。その土地の国の評価額は956百万円だった。ところが国は地下に埋まっているごみを撤去するのに82千万円かかると算出。その経費を引いた134百万円森友学園に対する売却額となった。森友学園に対する極端な優遇策と言える。その際、疑惑となったのはごみ撤去費用の8億2千万円が実際には架空の見積もりだったことだ。実際にはそんなにかからなかったのだ。

森友学園の籠池理事長は問題のある人物だが、国会喚問にも呼ばれ、これらの経緯については明確に発言をしていた。しかし、彼はこの件で罪に問われてしまった。1年以上、牢獄生活を強いられたのだ。まあ、言ってみればトカゲのしっぽになってしまった。

大雑把に言えば、以上がこの事件のあらましだ。

 

  • 何故文書改ざんをしたか?

全ての始まりは国会答弁で述べた安倍首相の次の言葉だった。「私や妻が関係していれば首相も国会議員も辞める」テレビを見ていた私はこんなことを言いていいのかなあと危惧した。

同年2月、国会に呼ばれた佐川宣寿財務省理財局長は「交渉記録は廃棄した」と言い切った。桜を見る会の名簿もそうだが、書類が命の官僚がこんなに簡単に書類を廃棄するものだろうか。明らかに嘘である。何故わかりきった嘘をつく必要があったのか?これこそが安倍首相に対する[忖度]であり、ここから問題は大きくなり、こじれてくる。

ところが国有地を森友学園に売却した公文書があることがわかり、これを明らかにせざるを得なくなってしまった。窮地に追い込まれた財務省理財局長は、2018年国会に提出する文書の改ざんという、禁断の悪手を打った。安倍首相を守るための窮余の一策だ。このような悪知恵を安倍首相が指示しなかったことは間違いがないと思うが、佐川氏の改ざんをしたことや国会答弁でシラを切り通したことには大満足を覚えたことであろう。

まさに組織や国家が衰退期から滅亡気に向かう混沌の状態と言える。佐川氏は国会で野党の質問にまともに答えず、馬鹿にしたような返事は、自分が頭の良い選良意識に基づいた、人を小馬鹿にした潜在意識のなせる業だろう。

私の友人のQにも勝るとも劣らぬ頭脳の持ち主の佐川はその頭脳を何に使おうとしているのだろう。とにもかくにも窮地を脱したのは佐川の根性のお蔭だ。安倍首相から見たら勲

 

一等表彰ものだ。麻生財務大臣も救われた。国家権力の強大さを見せつけられ、国民の多くは無力感に襲われた。

しかし、公文書改ざんの事実は明るみに出た。国民の怒りを収めるため、形ばかりの処分を行った。関係職員20名の軽処分。そして佐川の停職3ヵ月。だが、佐川は半年後、国税庁長官に横滑り。最後は退職に追い込まれたとはいえ、衰退期末期の症状だ。ここまで天下の財務省が腐ったのでは、これからの日本の行く末が案じられる。

この改ざんをする過程で、担当者の赤木俊夫氏が自殺に追い込まれてしまった。

不思議なのは財務省の事務方のトップである事務次官が全く表に出てこないことだ。部下のミス、いや悪事は上司の責任ではないのだろうか。このことも組織の腐敗と、末期症状を示している。

 

  • 赤木氏の自殺と手記

赤木氏(54歳)は財務省近畿財務局に勤務していた。公文書の改ざんを強要され、抵抗するが、組織の掟である上司の命令に逆らえず意に染まないまま改ざんに手を貸した。

手記で、「パワハラで有名な佐川局長の指示にはだれも背けないのです」さらに「佐川局長が修正する箇所を事細かに指示したかどうかはわかりませんが、財務本省理財局幹部などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した個所は3回ないし4回程度と認識しています」まさに忖度が忖度を生む構図が浮かび上がってくる。

「第一回目は2月26日(日)のことです」「元は、すべて佐川理財局長の指示です。局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所は、すべて修正するよう指示があったと聞きました」この部分は生々しいというか、悲痛な叫びである。「指示にNOと誰にも言わない理財局の体質はコンプライアンスなど全くない」

赤木さんは相談する相手もいない中一人で悶々として、とうとう、うつ病と診断されるようになり2017年7月病気で休まざるを得なくなった。6月末の人事異動で他部署に移ればうつ病にならなかったかもしれないが、もし異動になれば、この悲痛な手記は書かれなかったかもしれない。2018年3月赤木氏は命を絶った。

赤木氏はノンキャリアなのでキャリアから見たら虫けらのような扱いを受けていると感じていたのだろう。「これが財務官僚王国。最後は下部がしっぽを切られる」悔しさをにじませた手記である。震える字が痛ましい。

この手記が2年前公表されていれば事態は変わったかもしれないが,赤木夫人は表に出さなかった。

3回忌を迎えた今年の3月18日国と佐川元財務相理財局長に対する訴えを大阪地裁に起こした。

 

 

麻生大臣は赤木氏の手記が発表されたこと、野党の再調査をしろという意見に対して「手記と調査報告書の内容の大きな乖離があると考えておりませんので必要がない」と切って捨てている。又「お亡くなりになられた、自殺されたということになった残された遺族の気持ち等々を思うと、大変言葉もなく、謹んでご冥福をお祈り申し上げる次第であります。きちんと反省をしたうえで二度とこうしたことが起きないように信頼回復に取り組んでいきたい。大臣としての職務を果たしていきたい」

この物言いは非常に不思議だ。本当に謹んでご冥福をお祈り申し上げていると言うのなら、赤木さんの墓前に線香の一本も上げたのだろうか。口ではうまいこと、美しいことを言って何もしない不誠実な人柄がにじみ出ている。少なくとも自分の部下なのに。もっとも、墓前に線香をあげるぐらいの誠実な人間だったら、このような改ざんをさせるようなことはしない。まあ、ないものねだりをする私がおかしいのかな。

次に、きちんと反省をしたうえでというが、一体何を反省するのかがわからない。こういう人は言質を取られないような形容詞の多い、そして抽象的な発言が多い。知らない人は何となくわかったような気持になるから困ったものだ。それが狙いだから始末に負えない。反省ということは、自分が悪かったのだからそれを認めて責任を取ることだ。当然、部下の佐川氏が大罪を犯したのだから厳しい処断をしなければ、反省という言葉がむなしく響く。国税庁長官に任命をしておきながら、適材適所と言い放つのだから、反省が聞いてあきれる。能力のない人間は、こんな「反省」という言葉はみだりに使うべきではない。

こうしたことが二度と起きないようにとも言っている。不祥事が起きる度にこの言葉を何度聞いたことだろう。人殺しをした人間が「二度としないように」と言わせない方法がある。それは死刑にすれば二度と出来ないではないか。何も人を殺したらすべて死刑にしろと私が言いたいのではない。無期懲役でも二度と人殺しは出来ないのだから。言いたいことは、二度とこういうことが起きないようにするには厳罰にすることが必要なのだ。勇気をもって、不祥事を起こした人間を厳罰に処し、自らも、職を辞するなり、人々が納得する行動をとって初めて、ああ、これなら二度とこういうことは起きないだろうなと人は信じる。反省をするということは反省した証を世に示すことだ。それでこそ信頼回復につながる。

最後に大臣としての職務を果たしていきたいともいう。これも不思議な物言いだ。全く大臣としての職務が出来ていない人が、これからどうやって職務を果たすのだろう。

公文書改ざんと赤木氏の自殺に関し、野党の質問に麻生氏は「問題発生を許した組織風土を改めなければいけない。信頼回復に向け取り組んでいる。大臣としての職責を果たしたい」と答えている。これも上っ面の答えで何を言っているのか理解不能だ。組織風土を改めるという対象は財務省のことだが、どうやって、誰が改めるのか。少なくとも改めるどころか、ここまで腐敗させた張本人である麻生氏に改める能力や気持ちがないことははっきりしている。その証拠に、その後の「手記は本物と考えるか」という質問に「一読した位の話で、内容を詳しく全部精査したわけではないので、すべて間違っている、すべて正しいと申し上

 

げる段階にはない」と答えている。日本語の読解力や発言力ににやや難があるとはいえ、あの手記は一度読めば、切々たる赤木氏の思いが伝わる。それを間違いか正しいかわからないとは、この人は本当に認知症なのではないかと心配してしまう。こういう心の持ちようや理解力で組織風土を改めたり、信頼回復に取り組めるのだろうか。答えははっきりしている。

赤木氏の手記を一読して涙を流せとは言わない。せめて、財務省の組織風土を改めようと一石を投じた彼の思いは、もし、麻生氏が財務省の組織風土を改めようと思うのなら、同じ思いを赤木氏が思っていることはたちどころにわかる筈だ。とにかく麻生氏の答えはちぐはぐ、いや頓珍漢で、お笑いタレントではあるまいし、もう少し真面目に答えてもらいたい。困ったもんだ。

 

  • 赤城夫人国と佐川氏を提訴

赤木夫人は提訴した理由についてこう述べている。「夫が亡くなって2年が経ちました。あの時どうやったら助けることが出来たのか。いくら考えても私には助ける方法がまだ見つかりません。心のつかえがとれないままで夫が死を決意した本当のところを知りたいと思っています。夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたいです。」

続けて、「今でも近畿財務局の中では話す機会を奪われ苦しんでいる人がいます。本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局にはつくっていただき、この裁判ですべてを明らかにしてほしいです。そのため、まず佐川さんが話さなければならないと思います。今でも夫のように苦しんでいる人を助けるためにも、どうか佐川さん、改ざんの経緯を本当のことを話してください。よろしくお願いします。

なんと悲しい、切実な言葉だろう。これから始まる改ざん裁判の行く末、結果は頭脳明晰な佐川氏はもう見通していることだろう。自分は本当のことは絶対にしゃべらないし、赤木さんの手記の内容を知りながら不起訴にした大阪地検も、その結果を押し通すだろと。ましてや麻生大臣や安倍首相はこの裁判を無視するだろうと。

国の衰退期から滅亡期に向かう兆候は、トップが、自分たちに都合の悪いことを力でもみ消すことだ。当然権力にぶら下がる連中もそれに加担する。まさに腐敗といえる状況だ。真実を明らかにし、それを反省し、国民のために良い政治をしようというエネルギーは創成期から最盛期に向かう時特有のものだ。逆に言えば、ここでトップが謙虚に反省し、再調査をして、事実を明らかにし、きちんとした処分をし、責任を取るならば、日本再生の道は開かれる。

悔しいし、残念ながらそういうことは絶対にないと私は断言する。それでも、赤木夫人が提訴したことに多くの国民は拍手喝さいをするだろう。国のトップは腐っても、国民までは腐っていないからだ。どういう結果になっても、この提訴は国民の魂を目覚めさせる一石となって、波紋を広げるだろう。せめてそうならなければあまりにも惨めだ。

『遺書までも鼻であしらうダブルA』『そのうちに佐川って誰と言うかもね』